21世紀のサイノツノブログ

サイノツノによる提言

年をとってもイキイキしていて欲しい

実家に帰省した際、祖母が歌謡曲のテレビを見ながらボソッと言った。「こんなのしか楽しみがないよ」。わたしは、祖母の孤独と諦めを目撃して、悲しい気持ちになった。

今日は、おばあちゃんやおじいちゃん(ご高齢の人たち)の幸せについて考えてみたい。

 

日本は高齢社会

現在、日本の人口の4分の1が65歳以上である。高齢者の定義を変える提言もあるが、あくまでも政策上の戦略であって、65歳以上の人が多数いることに変わりはない。人口の4分の1を占める人たちがもっと幸せになれば、社会に与えるプラスの影響は大きいと思う。

たしかに、定年の撤廃、再雇用制度など、企業の領域で高齢社会に対応したシステムはよく聞くようになったし、これらの制度を使ってやりがいを感じる人が多数いるのは事実だ。しかし、このような制度は高齢の方々個人の幸せを考えて、というよりは、労働人口減少への対処だろう。

ここでは高齢の方々個人の幸せについて考えてみたい。

 

幸せとは何か

幸せはそれぞれが主観的に感じるものだけれど、基本的には好きなことをしているとき、とざっくり定義できるのではないかと思われる。あばあちゃんは好きなことしていないのだろうか。

 

おばあちゃんについて

かつての祖母には、好きなことがあったように思う。それは、近所の友達や習い事の友達との付き合いだ。その時の祖母は、愚痴をいいながらも、孤独は感じていなかったように思う。

しかし、やがて近所の友達は病気にかかったり、身体が不自由になったりして、祖母を訪れることはなくなった。祖母自身の身体も衰え、習い事も辞めてしまった。友達との付き合いがなくなってしまった。

 

ご老人たちが普段していること

そもそも、おばあちゃんの日常生活って、なんだろう。パッと思いついたのは、祖母を含めたご老人の日常生活の中心は、テレビではないかということ。しかし、テレビは、他人が作った世界であり、好きなこととは違うのではないか。特定の番組だけを狙って見るのであれば、それは、まだ自発的に好きなことをしているとも言えるだろうが、おそらくそういった見方はしていないのではないだろうか。たしかに、テレビは一時的には幸福を与えるかもしれないが、テレビを消して現実に戻れば日常が待っている。テレビを消しても楽しい好きなことを新しく見つける必要があるのではないか。友達がいなくてもできること。

 

なぜ好きなことができないか

時代が負うところの多い「教育の不行き届き」のせいで、チャレンジしたくても閉じ込められている様な気がする。端的に言えば、「選べることを知っている」ことや選択肢に対する知識の差であると思う。

どういうことか。祖母は80代で、中学校までしか出ていないし、若くしてお見合い結婚をした。教育を受ける機会がなかったし、親の言いつけに従って生きるしかなかった。まさに選べることを知らなかったし、今の若い世代ほど知識もなかったのだ。

しかし、知識はいつでも身に着けることができる。知識によって、選択肢を増やすことができる。知識にアクセスできるエリアをもっと広げるために、社会がご老人に対して何かしらの働きかけをできないものだろうか。生涯教育、とよく言われるけれど、実際どの程度浸透しているのだろうか。通信大学ももっと知られて良い気がする。

もっとも、スーパーおばあちゃんみたいに、自分で見つけられる人もいる。

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加齢に対して、必要以上に悲観しない

年齢とともに身体の様々な機能が衰えていくのは自然なことであるし(医療が進んだ数十年後の世界では、機能の衰えは緩やかになっていくだろうけれど)、周りの人が亡くなるのも自然なことだから、それらに対して諦めを感じる必要はないはずだ。もちろんアンチエイジングなどの必要な対策をするのは前向きだと思うしそれは個人の自由であるけれど、ここで言いたいのは、「歳をとるにともなって起こる自然なこと」に対して、必要以上に悲観することはないのではないかということである。

悲観しないで、とにかく好きなことをして欲しい。どんな年齢であれ、好きなことをしている人はたとえ仲間がいなくてもやっていること自体が楽しくて仕方ないから孤独など感じないし、結果的にどこかのタイミングで自然と仲間もできるものだと思う。

 

孫のお手本

おじいちゃんおばあちゃんが全力で好きなことしていたら、本人たちだけでなく周りにもプラスの影響がある。挑戦する人の存在は、見ていて力強く、周りを元気づけるものだ。特に、子供は大人の姿勢を見て育つ。おじいちゃんおばあちゃんは、孫や若者の素晴らしいお手本となるチャンスなのだ。そして、お手本となることで、さらに喜びも増すのではないだろうか。年をとることを卑下しないで、年齢なんて気にしないで、いつでも新たにチャレンジしてほしい、と思う。今のおじいちゃん、おばあちゃんたちの扱われ方を見ると、一人の大人としてよりも、とにかくいなしておけばいい存在として扱われているように感じられるし、本人たちもあまんじてその立場を受け入れているような気がする。しかし、私は、おとなしくしていて欲しくないのだ。祖母からお小遣いをもらうよりも、そのお小遣いで新たに何かに挑戦してイキイキしている祖母を見る方が嬉しい。もちろんお小遣いもとっても嬉しいのですが。笑