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21世紀のサイノツノブログ

サイノツノによる提言

自由にかっこよく生きる 『村に火をつけ、白痴になれ--伊藤野枝伝』

村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝』(栗原康、岩波書店)を読んだ。

今話題のアナーキズム研究者、栗原康氏の著作。本書は、「伊藤野枝ファン」の目線で書かれた伝記である。ゆえに、固めの歴史書好きな人には向かないかもしれない。でも、野枝への愛情に溢れた栗原氏のコメントこそがこの本の魅力だと思う。

 

伊藤野枝は、「甘粕事件」でアナキスト大杉栄とともに殺害された内縁の妻として、歴史の教科書に登場する人物だ。一般的な野枝に関する知識はこのくらいかと推測する。本書の帯では、「大正時代のアナキストウーマンリブの元祖ともいわれる.」と紹介されている。アナキズムは無政府主義と言われるが、より正確に言うと、政府だけでなく誰にも従属しないぞ、という思想だ。

実際はどんな人だったのだろうか。

伊藤野枝は自分のやりたいことをとことん追求する人だった。言い換えれば、自分の欲望に忠実なわがままな人だった。

1895年、福岡に生まれる。東京の学校に行きたいと思い、おじさんに猛烈に頼んでお金をだしてもらい、上野高等女学校へ進学(14歳)。親に決められた結婚が嫌だと思えば、平塚らいてうを頼り、好きな人(辻潤)の元へ逃げる(17歳)。気持ちが冷めれば、また別の人(大杉栄)の所へ(21歳)。青鞜の主力執筆者・編集者として活躍し、論争を繰り広げる(17~21歳)。大杉とともに「文明批評」「労働運動」を創刊し、活動した(23歳~)。貧乏でお金がなければおじさんに頼る。子供の世話が大変なら、実家を頼る、同居人を頼る。お金がなくてもどうにかなるから、どんどんやる。とにかく自分の気持ちに素直に生きた。1923年、関東大震災直後に28歳で虐殺される。

彼女の思想を理解するキーワードの一つとして、脱奴隷という発想があると思う。

女は、いつも従属する存在。仕事では、結婚するまでの期間、補助的な仕事しかしないのだから、低賃金で長時間働け。だから女は、つらければつらいほど、早く結婚して楽になりたいと思う。ところが、いざ結婚しても余裕がない。結局、家計補助なのだからと、再び低賃金で働くことになる。しかも、家事は女がやる仕事。二重の奴隷生活だ。そんな状態なのに、ご主人様、資本家様という奴隷根性。

結婚制度も奴隷制だとして、批判する。女は男の財産、所有物。「性的なことから家事、育児までふくめて、男のために奉仕する」「つかいがってのよい奴隷」。それをよくあらわしているのが貞操観念であると野枝は言う。財産の権利と言う概念が出てきて、その所有権が女の上にも伸びたのだと野枝は言う。だから、女の所有者はその女を貸すこともできたし、売ることもできたし、「もし持主の承諾なしに、他の男に接した場合、すなわち姦通は、実に厳重に罰せられ」たのだ。

どうやって奴隷根性を変えるか。野枝はこう考えた。

恋愛関係のなかでは、お互い違う人間で、同化できないことを知る必要がある。夫婦関係は、「夫だの妻だのの役割をせおわされたそのときから、かならず男女のどちらかが相手をささえるために、自分の生活をうしなってしまう。」「そして、それはたいていの場合、女性なんだ」と著者は野枝の言葉を翻訳している。じゃあ、どうしたらいいのか。

親密な二人の根底にあるもの、それは性欲ではなくて「フレンドシップ」であると野枝は考える。「フレンドシップ」とは、中心のない機械のようなものである。「お互いに部分部分で働きかけ合ってはいますが、必要な連絡の範囲を越してまで他の部分に働きかけることは許されてありません。そして、お互いの正直な動きの連絡が、ある完全な働きになって現れてくるのです。」

しかし、世間は結婚制度の否定を許さない。政治家は道徳とか言って女を家庭に縛り付け、子供を産めと言ってくる。でも野枝は負けない。女性が人類の存亡にかかわると言うならば、尊敬しなさいよ。奴隷みたいに扱うならば、子供は産まないわよ。本当に子どもが大事ならば、真に愛のある生活を送り、妻という奴隷役割を捨てる必要があるんだ、と。「家庭のストライキ」だ。著者の言葉を借りれば、「そのわがままなストライキから、女性たちが、あれもやれる、これもやれる、もっとやれる、なんでもやれるという感覚を手にしていく」。 女性たち自身で、自分たちの力で、変えていくんだ。そして、そういうところから真の友情も生まれるのだ、というわけである。

野枝は、労働者の解放に関しても、労働者自身が立ち上がらなければならないと考えていた。労働組合だって、従属先が国家から労組の幹部に変わっただけに過ぎない。それでは奴隷根性のままだ。どうしたらいいか。野枝は、失業者について「その職を奪われても、食物をもぎとられても、必ず堂々と生きる道を見出すであろうということを、権力階級に宣言することだ。(中略)遂に人間の生きる権利を奪うことはできないのだという人間の命の貴さに持つ自負を、彼らに示してやることだ。」と言っている。 

 

こんなかっこいい野枝だが、自由すぎて、ちょっと変な所もあった。青鞜社で働いているときに、子どもを職場に連れて行っていた。らいてうはうるさい、と思っていたらしいのだが、野枝は同僚が面倒を見ている間に仕事ができたらしい。子どもがおしっこをしても、ちょいちょいと拭くだけ。大にいたっては、青鞜社の庭に垂れ流した(!)らしい(この感覚は田舎ならでは、らしい)。でも結局、野枝が帰った後に別の人が掃除していたというから、その人にとってはいい迷惑なのだけれど、野枝の自由さがよくわかるエピソードだと思う。

かっこいいエピソードを紹介する。大杉栄が警官に捕まって拘留されているときに、内務大臣の後藤新平(ちなみに、後藤は大杉にお金をせびられて現在の価格にして100万円ほどをあげたらしい)に長い手紙を出した。その内容は、大杉を拘束したままでいいけど、その代わりに裁判であばれるだけあばれるからな、という内容だったらしい。この手紙が投函された時に大杉が解放されたというから意味はなかったのだが、「あなたは一国の為政者でも私よりは弱い」という本書の帯のかっこいい言葉はこの手紙に書かれている。

野枝の評判は散々だ。今から十数年前のことらしいが、野枝と同世代のあばあさんが存命していたそうで、「あの淫乱女!淫乱女!」と叫んだという。友愛会の山内みなは「タカビシャ」と言っている。しかしその一方で、バートランド・ラッセル(1921年に恋人のドラと来日)には「わたしたちがほんとうに好ましいとおもった日本人はたった一人しかいなかった。」と、彼の自伝で紹介されている。

 

最後に、感想などを少し書いておく。

野枝の思想や生き方は、現代人が生きるために役立つと思った。現代はSNSが発達しているゆえに、野枝の時代以上に世間の目が厳しいかもしれない。特に女性は、野枝の時代からはマシになったとはいえ、いまだに縛りも多い。婚活が流行っているのを見ると、わざわざ縛られたい人も多いのかも、と思う。でも、嫌だったら従わなくいていいし、周りに頼っていいし、思うままにどんどんやっていいし、お金がなくても何とかなるのだ。野枝はそう教えてくれている。そう思うだけで自由になれるのではないだろうか。

野枝の思想の一つに、「相互扶助」がある。周りの人と助け合うことで、政府がなくても生きているというもの。私は、これに現代の視点を入れたい。野枝の時代は、今ほどグローバルではなかった。野枝のぜいたくは産後にマツタケを食べたいって言っていたくらいだからかわいいものだ。私は、この範囲を身の回りや日本だけじゃなくて、世界にまで広げるべきだと思う。なぜなら、現代に住む私が服が欲しい、おいしいものが食べたいとなった時、日本だけの話ではなくなるからだ。周りの人だけでなく、周りにいない人のことも考え、助け合う必要があるのではないか。

私は野枝の思想に共感するところが多くて、すっかり彼女のファンになった。全集に目を通してみようと思ったところ、プレミアがついていた。図書館で探したら貸出し中。きっと私のように野枝のファンになった人がいたんだと思う。なんだか嬉しい。

野枝は殺されてしまったけれど、逆に言えば彼女にそれだけインパクトがあったということでもある。実際、野枝の思想は死なず、こうして現代にまで受け継がれた。私も野枝のように、自由にかっこよく生きたい。

 

村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝

村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝