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21世紀のサイノツノブログ

サイノツノによる提言

童貞マイナスイメージはいかにして作られたか 『日本の童貞』(文春新書)

日本の童貞 (文春新書)』(渋谷知美・著)を読んだ。

本書は、「すべての現象は言語によって構築されている」とする構築主義の立場から、童貞にまつわる言説を調査・分析し、「童貞が問題になる社会」の姿を明らかにしている。現在の「童貞」は、自虐的に使用したり、他者を攻撃するために使用したりするマイナスな意味の言葉である。しかし、マイナスな意味は時代の産物でもある。

本ブログでは、本書にならって、まず童貞イメージの変遷をまとめ、現在広く知られている童貞言説を紹介し、その後ろにある社会の姿について述べる。

なお、童貞の定義については、人によって定義が様々あるもの(接触か?挿入か?射精か?など)なので、その時その時に人びとが「童貞」と呼ぶものを「童貞」とみなしているそうだ。

 

童貞イメージの変遷。

19世紀末~1920年ごろにかけては、大学生・予科生・知識人の間では童貞=美徳であった。女性が処女を守るように男性も童貞を守るべきだという価値観があった。「新妻にささげる贈り物」としてみなされていた。ただし、同じ時代の農村、漁村では、「筆おろし」「ヒラキ」の儀式が行われていた。

戦後、特に1960年代半ばから、童貞は「恥」であるという価値観が広がるようになる。これは、不潔であるとか、女子学生からの非難とか、1964年の平凡パンチの「処女が減り、童貞増える」という記事がもとになったそうだ。もっとも、著者は「処女が減り、童貞が増える」とする記事は、サンプリングの異なる調査を比較していること、それぞれの調査が、一般化するにはあまりに偏りがあることを指摘している。

そしてついに1970年代、当事者から「かっこ悪い」という言葉を引き出すまでに至る。

1980年代に、現在まで続く童貞にまつわる言説が登場する。

ちなみに、「童貞」という言葉は、1910年代は女性に対しても使われており、人をさす用法はなかったそうである。所有物としての使われ方が主だったという。現在のように、人をさす用法がメジャーになるのは1950年代からだそうだ。

 

次に、童貞にまつわる言説をみてみよう。4つある。資料は、「大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録」の「童貞」項目に掲載された記事である。

①シロウト童貞説。

シロウト童貞とは、いわば風俗での経験のみしかないということである。

シロウト童貞言説をさらに分解すると、「風俗での童貞喪失は逃げである説」と、「無理にでも風俗で捨てろ説」があるそうだ。逃げ説は、受け身になるから素人との時に難しくなるというもの。捨てろ説は、手間暇をはぶけというもの。

なぜシロウト童貞がバカにされるかといえば、「モテない」と思われているからではないかと著者はみている。1999年のデータでは、20代の86.6%が初体験の相手が恋人であったそうだ。つまり、素人の道が開かれているのに(恋愛市場が成立しているのに)、そこで体験していない/できないとみられているのではないか、ということだ。

 ②童貞喪失年齢の規範化。

「10代後半」「20歳まで」とする言説。やらはた=やらずのハタチという言葉が登場。

しかし、90年代に「焦らずに」という記事も登場。

 ③童貞を病理化する説。

一定年齢以上の童貞に対して、ゆがんだパーソナリティを疑っている説。

ザコン(過保護が関係しているのでは?)。シャイマンシンドローム(はずかしがり)。包茎平凡パンチは、手術しろとまで言っている)。インポテンツ(アダルトビデオやオナニーが関係しているのでは?)。

 ④「童貞は見てわかる」説。

「目がギラギラしている」、目を見ない、肌がきれい/きたない、ペニスが白い/黒いなどなど。この説の特徴は、語り手が女性であるということである。判断する者が女性なのである。しかし、この「見てわかる説」は90年代に減少し、肯定的に扱う説がでてくる(本を片手にした男性のイメージなど)。

 

それでは、童貞が問題になる社会の姿とは何か。

それは、「恋愛とセックスが強固に結びついている社会」「正しい童貞喪失の基準が求められる社会」(だから、そこから外れた人が病理化される)「男性が女性に値踏みされる社会」であると著者は言う。

つまりは、『「性的なことは私的なこと」というタテマエのもとで個人のセクシュアリティがたえず公による干渉にさらされている社会』が、童貞が差別される社会である、と著者は言う。

どうすれば乗り越えられるか。

社会側は、「セックスを特権化しない」(セックス以外に価値のあることはたくさんある)「非童貞を特権化しない」(みうらじゅん伊集院光によって、精神的童貞「D.T.」という概念が提唱されている)ことが必要だと筆者は言う。

長らく値踏みされるのは女性の側であった。つまり、現在の恋愛市場で比較的に女性が優位なのは「男性の選別に対する適応の結果である」のだと著者は言う。それが70年代に入って、男性も値踏みされるようになってきたのである。このような背景を考えると、童貞=性的弱者として社会に救済を求めるのは間違っている、と筆者は見ている。

それでは、当事者はどうすればいいのか。それは、市場からおりること、風俗に行くこと、女性の選別に順応することである、と著者は言う。

 

以上でまとめは終わりである。

最後に、思ったことなど。

本書が刊行されたのは2003年だが、その後「草食(系)男子」という言葉が出てきた。これはまさに、市場からおりる人が可視化されてきたことに関係しているのではないかと思った。実際、最初に「草食男子」と言った深澤真紀氏は、「セックスやペニス至上主義じゃない男性が増えてきたね、という肯定的な意味合い」で使った、と言っている(竹信三恵子×深澤真紀 「家事ハラ炎上!」爆走トーク(2) 「草食男子」は褒め言葉だったのに | ウィメンズアクションネットワーク Women's Action Network)。その後、リーマンショックが来て、モノが売れないのは草食系のせいだと言われ、軟弱な若者としての意味で使われるようになったそうだ。企業は恋愛を消費に結びつけてきた歴史があるので、当然の帰結ではあるが、これはとても残念なことである。

童貞イメージは時代的なものであるし、本来は個人の自由な領域である。だから、社会からの童貞イメージに囚われる必要は全くないと思う。囚われて過度に気にする必要はない。ましてや、女性を恨む必要はない。

 

日本の童貞 (文春新書)

日本の童貞 (文春新書)

 

 紹介しきれなかったが、平塚らいてうが、花柳病患者男子の法律婚を取り締まろうと、中産階級女性を主体に「拒婚同盟」をつくろうとしたという話も出てくる。これは多くの知識人から反発を受けてかなわなかったそうだ。筆者は、この知識人たちの反発は、「現状の男女の非対称性に合わせた非対称な対処」への無理解、提唱者のらいてうが女性であったこと(男性医師が取り締まりを主張しても批判されず)が原因である、とみている。また、らいてう側も反対者側も、優生主義的傾向とナショナリズム的傾向を共有していたという問題もあるそうだ。

日本の童貞 (河出文庫)

日本の童貞 (河出文庫)

 

 文庫版もあった。