21世紀のサイノツノブログ

サイノツノによる提言

家族内の権力関係--自己評価を上げよう

中学生の時、地方議員をしている父親の見栄のために、進学校の受験を強制させられた友人がいた。この前別の友人と話しているときに、父親の仕事を継ぐために働く場所が限定されたことを知った。彼女は働いてみたい場所があったのだが、それは叶わなかった。私の実家では、母(在職中)と祖母が家事を全面的に引き受けている。

 

父親や夫の方針に従う彼女たちのことを考えると、現代の家族の中にも支配ー被支配関係が存在することが分かる。夫や父のことを酷いと思いながらも、従う妻や子供。家父長制は解体されたはずだが、未だに息づいているようだ。

今日は、家族内の権力関係について考えてみたい。

  

ガンジーやシャープ博士(独裁体制から民主主義へ―権力に対抗するための教科書 (ちくま学芸文庫))も言っていることだが、支配が成立するのは、支配される人がいるからである。つまり、父や夫に従ってきた妻や子供たちは被害者でもあるが、彼らの支配の協力者でもあるのだ。ならば、支配に協力しなければ、彼女たちは支配から解放されるはずだ。

ところが、話はそんなに簡単ではない。なぜ父や夫に従ってしまうのだろうか。

 

従う理由をいくつか考えてみた。

戦前生まれの世代だと、本当に家父長制の中で生きてきたので、「父親に従う」「夫に従う」「長男に従う」ことがあまりにも当然だと思っているからだと考えられる(私の祖母はまさにそのタイプである)。戦後生まれでこういう発想の人は、その残滓であろう。

戦後生まれの夫婦関係において、一般的に妻が夫に従属しがちな理由は、男性の方が経済力を持ちやすい、ということであろう。お金信仰が隆盛を極める現代社会では、お金を持つ者は権力を持ちやすい。特に、女性が専業主婦の場合は夫に従わざるを得ないことも多いのではないだろうか。

また、男性の方が物理的に力が強いという理由もあるだろう。DVの被害者は女性が多い。暴力を恐れて従ってしまう人もいるのではないだろうか。

それから、女性の方が男性よりも自己評価が低いという理由も見過ごせない。自己評価が低いと、「自分は酷い扱いをされても仕方がない」と思ってしまう。自分を大切にできないし、自分を信用することができないので、事態を好転させるような決断、行動ができない。経済力がない後ろめたさから夫に従う妻も、DVに耐え続ける妻も、夫と同じくらいの経済力を持ちながらも夫に従う妻(私の母がこのタイプで「自己評価低いよ」と明言していたくらいだ)も、結局は自己評価が低いのだと思われる。

 

理由の考察は以上だ。

それでは、どうすれば従わずにすむのか。

まずは、自己評価を上げればいい。

自己評価を上げるのは簡単だ。誰かの評価を基準にせず、自分で上げてしまえばいいのだ。「なりたい自分」「すごい自分」を、自分で定義すればいい。

多くの人は、周りからの言葉や、誰かとの比較によって自己評価を下げてしまっているように思う。周りの人が自分に対してする評価は、はっきり言って適当だ。自分の何を知って価値判断を下すのか。自分のことは自分自身が一番わかっているはずだ。適当に言われたことを真に受ける必要はない。自らをよりどころとせよ、と釈迦も言っている。

自己評価が上がれば、自らの尊厳を傷つけることに従う必要を感じなくなる。パートナーの態度は、「すごい自分」にふさわしい態度なのかどうかがわかるようになる。

意に反する家事を辞めるなり、徹底的にパートナーと話し合いをするなり、話し合いが無理なら家を出るなりするだろう。そして、「すごい自分」にふさわしい新たな相手を見つけるなり、一人で生きるなり、好きに選択するだろう。家を出たいと思ったとき仕事に就いていなかったとしても、「私にふさわしい仕事は必ずある」「実家に頼るという選択もある」「支援している団体もあるはずだ」など、あらゆる方法を考え、状況を好転させようと行動するだろう。

自己評価を上げることは、自分以外の人のためにもなる。どういうことか。パートナーからの支配をむやみに受け入れない自己評価の高い人が増えれば、支配的な人間はだんだん必要とされなくなる。必要とされない人間にはなりたくない、と皆思うはずだ。その結果、支配的人間は減っていく。

ここまで、一般的に支配する側の性別として男性を、一般的に支配される側の性別として女性を挙げてきたが、女性が男性を支配することもあるし、女性が女性を支配することもある(特に、近年「毒親」という言葉や、母親が娘の結婚を邪魔しているという説も認知されるようになってきた)。また、自己評価が低い男性ももちろんいるので、「意に反して支配される側は、まず自己評価を上げるべし」である。 

 

それから、女性の自立を考えるときに必ず言われることだが、やはり女性の低賃金問題を何とかする必要がある。理由のところで考えたように、夫の権力の源泉はお金であることも多いわけで、お金=力という図式は現段階では無視できない(個人的には、お金に重きを置きすぎる価値観自体を超えたいと思っているが)。現代の企業が、未だに、女性が不利になりやすい「年功序列」「終身雇用」を基準に組み立てられたシステムで動いていることは「労働を多次元で変革しよう 『働く女子の運命』(文春新書)」でも触れた。これをなんとかするのが政治家だと思うのだが、いかんせん、高齢化社会日本では、なんとかしても票につながらないので動かない。特に、現政権を握っている自民党経団連から多額の献金を受けているわけで(東京新聞:14年政治資金 企業献金4.3%増 86%は自民 経団連、政権接近:政治(TOKYO Web))、経団連の不利になるような「人件費増大」政策は打てないのではないか。

それでも、女性のキャリアに関わる議論は活発になっている。保育園ブログが国会で取り上げられ、波が起こったりもした。また、政府が少子化を本気でなんとかする気があるならば、女性のキャリアそのものに真剣に向き合わざるを得ないはずだ。女性も稼げるシステムで運用すれば、子どもを持ちたい人は持つと思うし(少子化が緩やかになるかも)、持たない人も選択が広がる。それはすなわち自立につながる。

 

現代社会は、祖母の時代よりだいぶマシになった。

祖母は教育も小学校までだったから、従うことに迷いがない。ある意味幸せだが、それは限定された範囲での幸せだと思う。

これからを生きていく私たちは、「限定された範囲」にわざわざ囚われてあげる必要はないのだ。教育も受けたし、餓死する心配もない。あとは堂々と生きていけばいい。