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21世紀のサイノツノブログ

サイノツノによる提言

秋元氏の社会的責任--『アインシュタインよりディアナ・アグロン』を聴いて

HKT48の新曲の歌詞が批判を浴びている。

宣伝になってしまうかもしれないが、まずは歌詞を見てほしい。

アインシュタインよりディアナ・アグロン - なこみく&めるみお(HKT48) - 歌詞 : 歌ネット

どう感じただろうか。

歌詞自体は、「女の子は可愛くなきゃね」「学生時代はおバカでいい」「どんなに勉強できても愛されなきゃ意味がない」「ママになるまで子供でいい」などというもので、言われるまでもなく女性を貶めている歌詞だ。いや、女性だけでなく、人間の価値を勝手に定義しているという意味で、全ての人間に対する侮辱ですらある。

念のためにMVをみてみると、典型的なアイドルソングという印象であった。10年前くらいだったら、おそらくこんなにも批判はされなかっただろう。

でも、今は2016年。いくらアイドルソングでも、女性差別的な歌詞は受け入れられないという人が多数。日本の女性差別的な土壌が変わってきた証だと思う。喜ばしい。

 

私は、秋元氏の社会的責任を問いたい。

秋元氏は一流のビジネスマンだ。アイドルという商品(!)を上手く演出して、売る仕組みも整えて、大金を稼ぐ。彼はビジネスマンとしてこの歌を出した。つまり、喜ばれる、売れるという判断をしたわけだ。おそらく、HKTのファンは、アイドルが好きなだけで、歌自体はあまり気にしていないと思う。だから、秋元氏とHKTファンというビジネスの関係内では何も問題がない。お金を儲けることがビジネスの最終的なゴールなのだから。

しかし、彼の持つ影響力、権力を考えた時、あまりにも「大人」として不誠実だと思うのだ。HKTという売り出し中のアイドルがこれを歌うのだ。聴こうと思わなくても聞こえる。その中には、これからどんどん伸びていく若い少女もいるだろう。また、HKTのメンバーだってまだ若い(彼女たちはビジネスだということを理解しているのかもしれないが)。そんな彼女たちに、「頭からっぽでいい」「世の中のジョーシキ 何も知らなくても メイク上手ならいい」などという歌を聴かせ、歌わせる「大人」は彼女たちの人権を傷つけ、未来の可能性を奪っている。

秋元氏だって、商品というだけでなく人間としての少女も好きなのだろうから、彼女たちが伸びていくのは嬉しいはずだ。

今の彼は、社会的責任を放棄した、ただの無知で可哀そうなビジネスマンだ。

 

さて、今のところ日本には女性差別に対する表現の規制はない。ゆえに現状では、「秋元氏の社会的責任」という言葉で表現したように、作る側の意識が最後の砦である。

しかし、作る側にまかせていたら、今回取り上げた歌が世に出てきたように、女性の人権は侵害され続けるのではないだろうか。憲法で定められているにも関わらず未だ女性の地位が低い今の日本で、作る側に良識を期待するのは夢物語だ。

 

日本は、経済的には資本主義の国でもあるが、政治的には立憲主義国家でもある。

女性の人権は、憲法で保障されている。表現の自由は、人権を侵害しない範囲でのみ有効だ。女性を貶める歌を世に送り出すことは、果たして立憲主義国家に相応しいだろうか。

 

また、秋元氏のビジネスモデル自体が、現代社会にそぐわないということも付記しておきたい。今回の件で批判が多数出たように、女性を貶めるものを社会は受け入れなくなってきた。彼が売っている「若さ、かわいさ、処女性」などに価値を感じる人はさらに減っていくだろう。法整備がなされなかったとしても、社会によってこのようなものは淘汰されていくだろう。おかしいと思ったら声をあげていこう。今回の投稿も、声をあげたものである。匿名のネットユーザーが運営するブログであるから、微々たる声だけれど。

 

最後に、「女の子は可愛くなきゃね」「学生時代はおバカでいい」「どんなに勉強できても愛されなきゃ意味がない」「ママになるまで子供でいい」「頭からっぽでいい」「世の中のジョーシキ 何も知らなくても メイク上手ならいい」という歌を聴いてギョッとした女の子たちへ。

この歌は無知で可哀そうなビジネスマンが作った歌であり、このような女の子像は既に時代遅れです。どのような人でも、自らの知識と判断で未来を切り拓くことができます。何にだってなれるし、好きなように生きることができるのです。

頭の悪い大人の言うことは無視して勉強し、自分の頭で考えましょう。正解がどうだとか気にする必要はありません。自分で考えて判断したことであれば、なんでも正解です。考えることこそが大切です。考えるためには、知識という材料が必要です。学生時代は思いっきり勉強しましょう。