21世紀のサイノツノブログ

サイノツノによる提言

田舎出身、高学歴女性の行先--田舎で教師か看護師か、東京で就職か。

わたしの女友達(大卒または専門卒)の就職先を分類すると、大きく二つに分かれる。地元で教職か看護師、または、東京で会社に就職である。

地元(関東のとある田舎)に残っている女友達は教職か看護師しかいないのに、東京に出た友達の就職先はそれぞれ違う業種だ。なぜだろうか。今日は、その謎に向き合ってみようと思う。

 

昔(戦前)の農村の女性が農業以外の仕事をするには、教育や医療関係などに限られていた。戦後、経済のパイが大きくなるにつれ、農村女性も都会へ出て、企業へ就職するようになる。また、都会に出なくても、農業が盛んなころは、田舎に残っても農家として働くことができた。

しかし、大規模な農家を除き、今は農業でカネになる時代ではない。農家として生計を立てられない。その一方で、農村出身の高学歴女性は増えた。都会には企業が集まって仕事も増えたけど、田舎にはない。高学歴女性の受け皿となるような企業がない。しかし、学校や病院は田舎にもある。

そう、つまり、産業が発展しなかった田舎に高学歴女性が残るには、教職や病院関係しか選択肢がないのである。そして、どちらにもならない人は東京へ行く。これが、友人たちの就職先を二分する構造ではないかと思われる。

 

学校や病院は急に消えたりしないから、働き口があるだけマシじゃないか、とも思うが、それで済ますには、いくつか気になることがある。

 

一つ目は、今後、人口減少による市場の縮小に伴って働き口が減り、彼女たちの行き場がなくなるかもしれないこと。

子供が減っていくのに合わせて、教育市場は縮小していくだろう。そうなったとき、彼女たちの行先はどうなるのか。まあ、もともと40人のクラスに対して教師1人は少ないと思うから、人口減少と一緒に教育を手厚くするべきだと思うのだが。

看護師の彼女たちは、高齢化でむしろ人不足なくらいだろう。しかし、それはそれで、1人あたりの労働量が心配である。

 

二つ目は、そもそもの職に対するモチベーションへの疑問。

看護師の友人に関しては、大学や専門に入る時点で、看護師を志していたことが分かるから、モチベーションはもともと高いと思われる。

気になるのは、教職の友人だ。教育以外に地元に残る手段があったなら、果たして教職を志したのだろうか。つまり、地元に残る上で、教育者を選ばざるを得ないから教育者になっているだけなのではないか。 もちろん、教職が先で、地元が後の友達もいる(はじめから教職を志して教育学部へ進学した友人はこのパターンだ)。しかし、実際、保険として教員免許をとった友人もいる。つまり、看護師の友人たちは専門教育へ進み、その道への決意を固めているのに比べると、一部の教職の友人たちの決意は疑わしいのである。もし、地元に残るのが目的で教職に就いていたとしたら、彼女たちも気の毒だが、何より教えられる子供が気の毒である。

 

気になることは以上だ。

最後に、少しばかり檄文を。

熟考の末に彼女たちが今の仕事を選んだならば、それは個人の自由であるし、素晴らしいことだと思う。

でも、多少なりとも田舎という環境に「選ばされて」いるならば、それは本当の意味で自由な職業選択ではない。こんなに豊かな日本で、彼女たちは不自由な殻に閉じこもっているように見える。本当にやりたい仕事があるならば、どこであろうとできる。田舎から出ることもできるし、田舎に残ってやりたい仕事を自分で作ることもできるのだ。たくさんの可能性に蓋をしているのだとしたら、もったいない。

 

私の地元ではさびれた農業以外の産業がないし、今後も新たな産業が発展しそうにない。だとすれば、地元が供給できる選択肢は、学校か病院である状況は変わらないだろう。でも、私たちは自分の選択肢を自分で作る力があるのだ。

 

 選択肢を作ってきた女性たちの話は、以下の記事にて。

horn-of-rhinoceros.hatenadiary.jp

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