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21世紀のサイノツノブログ

サイノツノによる提言

「会社の飲み会」について考えるーー飲み会の問題点

現代社会論考 For Women

 

horn-of-rhinoceros.hatenadiary.jp

 上の記事で書いたように、日本の会社は「メンバーシップ型」で運営されている。

このことによって、およそビジネスに似つかわしくない、独特な会社文化が作られてきた。その最たるおかしな文化が「会社の飲み会」だと私は考える。実際に運用されているルールと、契約上・法律上のルールのギャップが一番大きい文化だと思う。今話題の「スマップ問題」も、法律と実際の運用ルールが異なっていることを表している好例だ。日本、未だ近代国家に非ず。

 

飲み会の問題点は、2点に集約できそうだ。

一つ目が、雇用契約外の活動であるのに、飲み会が半強制的であること。

二つ目が、人権侵害がまかり通る場であること。

 

順番に考えてみよう。

まず、一つ目「雇用契約外の活動であるのに、飲み会が半強制的であること」から。

そもそも、飲み会の目的は何か。最たる目的は、親睦を深めること。つまり、コミュニケーションすることだろう。であれば、業務時間内にコミュニケーションをとればいいし、どうしても飲み会でなければいけないのであれば、業務時間を延長して賃金を発生させるべきだろう。また、そもそもコミュニケーション自体が必要なのかどうか、ということも考える必要がある。

 

本来、会社の同僚というのは「雇用契約上、同じ場所で働かざるを得ない者」に過ぎない。たまたま同じ雇用主に雇用されただけである。たとえ上司であっても、それは「業務上」のみであって、業務の外では何の上下関係もない。

つまり、雇用契約の観点からみれば、飲み会に参加しないことは何の問題もない。きっぱり断っていいわけである。それなのに、なぜか飲み会が半強制的である。これが問題なのである。

 

なぜ半強制されるのか。

やはり、「メンバーシップ型」で会社が運営されていることが影響しているように私には思われる。「人に仕事がはりついている」から、業務内の関係が業務外でも適用されているのである。上司が飲み会を開催する場合、特に断りづらいのはそのためだ。私自身は基本的に飲み会には参加しないのだが、以前、上司が私のための会の開催を決め、私が参加する前提で予定を聞かれた時は断れなかった。

しかし、本当は契約外なのだからきっぱり断ればいいわけだ。自身の雇用契約書と労働基準法を盾にすることもできる。そんなことを言えば嫌がる人もいるが、どちらが間違っているかは明白だろう。日本は法治国家なわけだから、もし断ったことによって不利益を被るようなら、会社の窓口、労働基準局などに訴えればいいし、そんな会社はたかがしれているので辞めるという方法もある。

 

それでは、二つ目の「人権侵害がまかり通る場であること」を考えてみる。

 飲み会における話題を考えてみると、だいたいが社員の悪口や噂など、仕事に直接関係がない話だ。仕事以外に共有する事柄がないのだから、必然的に話題は限られるのは当然だろう。まあ、それだけならただの時間の無駄としか思えないけれども(無駄と思わない自由もあるわけだが)、まだ害をなしているとは言い難いだろう。

しかし、害を及ばすことがある。大きく言えば人権侵害(プライバシーの侵害、パワハラ、セクハラ等)にあたる行為が発生する場合だ。アルコールによって判断能力が下がるわけである。

 

最近あまりきかなくなったが、酒に酔っ払った者が卑猥な言葉を言ったり、触ったりした事件などは、事件後のコメントを見る限りは、判断能力の低下が関係している。

そこまでわかりやすいものでなくても、たとえば、飲み会で恋人、結婚などに関する個人の私生活が話題になることがある。たずねてきた相手が上司や上の立場の人間だった場合、厚生労働省によるパワハラの6類型(パワハラの6類型|パワハラ基本情報|あかるい職場応援団 -職場のパワーハラスメント(パワハラ)の予防・解決に向けたポータルサイト-)のうちの「個の侵害」にあたる可能性がある。

 さらに、そうやって得た情報を第三者にばらした場合、性に関わることであればセクハラにあたることもある。下記HPに詳しい。

Q5.企業が労働者のプライバシーを侵害した場合の法律問題について教えて下さい。|労働政策研究・研修機構(JILPT)

もちろん、セクハラかどうかは、主観だけで判断されるわけではない。証拠が必要だし、ある程度の基準は存在するわけである。セクハラの判断基準は、厚労省のパンフレット(http://kokoro.mhlw.go.jp/brochure/supporter/files/kigyou01b.pdf)5ページによれば「男女の認識の違いにより生じている面があることを考慮すると、被害を受けた労働者が女性である場合には『平均的な女性労働者の感じ方』を基準とし、被害を受けた労働者が男性である場合には『平均的な男性労働者の感じ方』を基準とすることが適当です。」とされている。

 

とにかく、飲み会という場はあまりにもプライバシーに対して鈍感になりやすい場だと思われる。

 

なぜ人権侵害がまかり通るのか。

それは、日本人の「法意識」の希薄さ(多くの会社は法律と実際の運用にかい離がある「メンバーシップ型」なわけだから、法律の論理は、通常以上に働いていないように思う)に、アルコールによる判断能力の低下という脳内状態が加わった結果であると言えよう。

さらに、「メンバーシップ型」を平たく言えば、昔の共同体である。そもそも終身雇用が前提のシステムなわけだから、40年ほど同じ会社にいるのが通常状態ならば共同体にもなるだろう。個人の情報が当たり前に共同体構成員に共有されて、個と他の区別がなくなっていく。そんな環境に長くいれば、適応能力が高い人間は、おかしいとも思わなくなるだろう。思考停止状態になって人権という概念を忘れるのも当然だ。

 

それでも飲み会は、いいものだと考える人もいるだろう。たしかに、高度経済成長期までは飲み会の機能は優れていたのかもしれない。高度経済成長とは、共同体が強固であればこそ成し遂げられたことだからだ。その共同体を強化するのに飲み会は一役買っていた。

 

とはいえ、もはや21世紀。問題だらけの「会社の飲み会」はなくなっていいだろう。

実際、近年はワークライフバランスという概念が浸透してきたこともあり、飲み会の機会自体、減少傾向にあるように思われる(また、シフト勤務の職業であれば、物理的に全員がそろう時間がないので飲み会の開催自体が困難な場合もある)。

こういった記事(飲みニケーション活用法 雑談力上げる機会に :日本経済新聞)は、飲み会に参加しない人(特に若い人)が増えているからこそわざわざでてくるわけだ。

 

若者が飲みニケーションしなくなってきているのは変革の時代がきているということかもしれない。あるいは、高度経済成長期の記憶を持つ世代とそういった記憶を持たない世代の交代がすすんでいるだけかもしれない。なんにせよ、断る人が増えればそういった文化は自然に消えていくことだろう。どんどん断ろう。

もちろん、それでもやはり飲み会をしたい人はすればいい。ただし、雇用契約上は労働者にとって飲み会は労働時間外であるから誰も強制する権利はないし、強制したときあるいは不参加者に対して不利益を与えたとき、法的に罰せられる場合があることを理解する必要がある。また、大切なのは「昔からのうちの会社の慣習だから」と無批判に引き継がないことだ。

  

部長、その恋愛はセクハラです!  (集英社新書)

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ちなみに、セクハラについてはこちらの本がわかりやすい。

著者はセクハラという言葉ができる以前からセクハラ裁判に関わってきた人物である。具体例を用いながら、セクハラ問題を包括的に説明している。私は本書を読んでセクハラの基準について理解できた。社会人であれば読んでおくに越したことはない。