21世紀のサイノツノブログ

サイノツノによる提言

黒澤明はすごすぎる 『羅生門』

黒澤明監督の『羅生門』をみた。さすが世界のクロサワと呼ばれるだけあって、作品が徹底的に作りこまれているのがわかり、情報量が凄まじかった。全ては書ききれないが、私なりに『羅生門』を紹介してみる。

 

超有名作品なのでいまさらあらすじを紹介するのもナンセンスだが、簡単にまとめてみよう。

時は平安時代。荒廃した羅生門の下で、男と僧侶が雨宿りをしている。そこに、別な男が雨宿りに来る。男は、雨宿りの男にせがまれて今日起きた事件を話し始める。

京都の山奥で、ある男とその妻と盗賊が出会い、盗賊は妻を手籠めにした。男は盗賊に殺され、妻は逃げた。ところが、事件後に検非違使の前で当事者たちが順番にストーリーを語るのだが、その内容は三者三様であった(ただし、男は死んでいるので、彼のストーリーは彼を憑依した巫女によって語られる)。最後に目撃者の語りによって、事件の確からしいストーリーが明らかになるのだが、その内容は三者のストーリーと全く違っているのだった。

 

本作品のメッセージを私なりに解釈すると大きく二つある。「人間の認知や記憶はあてにならない、そして自己正当化する」「それでも、人間は利他的な行動ができる」ということだ。

ひとつひとつ説明してみよう。

 

まず、「人間の認知や記憶はあてにならない、そして自己正当化する」について。

「三人が出会う→盗賊が妻を手籠めにする→盗賊が男を殺す→女が逃げる」という一連のスクリプトは全員同じなのだが、それぞれが語るストーリーによって人物の性格・言動が違うのである。

例えば、「女が逃げた」いきさつをそれぞれのストーリーで語ると、以下のようなものになる。

盗賊が言うには「女は泣きながら男2人に決闘を促し、激しく太刀を交えている間にいなくなった。怖くて逃げだしたんだろう」。女が言うには、「盗賊が去った後、夫は私を軽蔑した目で見ていた。そして気を失ったら夫の胸に自分の短刀が突き刺さっていて、恐ろしくて逃げた」。男が言うには、「妻が、(夫である)私を殺して逃げようと盗賊に言うと、盗賊はこの女を殺すか生かすか決めろと、私に詰め寄ってきた。そこで妻は叫び声をあげて逃げ出した」。目撃者が言うには、「女は高らかに笑って男二人に決闘を促し、男たちは転げまわりながら戦った。いざ盗賊が勝って女に近づくと、女は逃げ出した」。

 

どうだろうか。女の「本当の姿」は一体どうであったのか全くわからない、という

のがおわかりいただけただろうか。

語る者によって、女はか弱いのか図太いのか、180度違うのだ。つまり、女のキャラクターは語り手に都合のいいように変えられているのである。

これを抽象的に言えば、「人間の認知や記憶は自己正当化によってもたらされる」ということである(認知や記憶、としたのは、出来事が起こっている段階で見えいているものがちがっているのか、それとも記憶された後に書き換えが起こったのか定かではなかったためである。もちろん、単純に嘘をついている可能性もある)。人間は、物事を見たいようにしか見ないのである。

見たいように見ていることは、経験的にもよくわかる。誰かと同じ映画をみても、後で話してみると自分とまったく違う感想をもっていたり、「あれ、そんな場面あったっけ?」となることはしばしばある。 実際、脳の機能が解明され、記憶は思っている以上に曖昧だということが明らかになっている(『大人のための図鑑 脳と心のしくみ』P118,119)。

 

さて、次に「それでも、人間は利他的な行動ができる」について。

本作は、目撃者の男と僧侶がストーリーテラーとなって、羅生門の下で雨宿りに居合わせた男に、検非違使の前で行われた数々の証言を語るという形で展開していく。最後に目撃者の男がみた事件のストーリーが語られて(実は目撃者の男は、検非違使の前では「死体の第一発見者」として証言しており、事件を目撃したことは話していなかった。ところが、雨宿りの男に目撃していたことを見抜かれてストーリーを語り始める。)、事件の確からしいストーリーが明らかになるのだが、それによって、目撃者の男が女の短刀を盗んだことがばれてしまう(だから検非違使に事件を目撃したことを告げなかったのだろう)。

呆然とする目撃者の男。捨てられていた赤ん坊がくるまれていた着物をはぎ取って、雨の中去っていく雨宿りの男。赤ん坊を抱いている僧のところに近づく目撃者の男。「赤ん坊自身の着物まで盗む気か!」とどなる僧。目撃者の男は、自分には6人の子供がいて、6人育てるも7人育てるも同じ苦労だ、と語って、赤ん坊を引き取ることを申し出る。僧侶は恥じ入り、「おぬしのおかげで人を信じていくことができそうだ。」と言い、目撃者の男は赤ん坊を引き取って羅生門を去っていく。

 

このラストシーンが、「それでも、人間は利他的な行動ができる」というメッセージそのもであった。目撃者の男は盗みを働く利己的な面もあるけれども、その一方で、他人の子供を育てるという利他的な決断もできるのだ。

降り続いていた雨は止み、二人は晴れやかな表情で別れている。人間は自己を超えていくことができるのだ。

 

メッセージのまとめは以上である。

それにしても、黒澤監督は本当にすごい。世界中で通用する普遍的とも言えるメッセージに、当時画期的だった撮影技法に、徹底的に作品の世界を作りこむ姿勢。その圧倒的な情熱と情報量によって、作られて60年以上経っても、黒澤作品は未だに観る者を魅了する。

 

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 余談だが、出演者の顔つきが現代の俳優と全然違うのがおもしろかった。世の中に好まれる顔はどんどん変わるのだなあと思う。つまるところ、美醜の基準というのはこの50年という短期間でも変わっているようだから、とらわれる必要はなさそう。今ブサイクと言われる人が、数十年後はイケメンともてはやされる可能性は大いにあるわけだ。逆に、「平安時代の美人」をわれわれは美人と思わないように、「今の美人」も1000年後の人が見たらブサイクと思うかもしれない。三船敏郎は50年たっても、かっこいいと思ったけれども、最近は、ちょっと濃いめのキリッとした顔は好まれないのだろうか。