21世紀のサイノツノブログ

サイノツノによる提言

日米のスタッフの比較 『国会という所』(岩波新書)『リッツ・カールトンが大切にするサービスを超える瞬間』(かんき出版)

今回は、二冊の本を通して見えた日米の「スタッフが持つ権限」の違いについて考えてみたい。

 

今回の比較対象をはじめに述べておこう。

第一に、リッツ・カールトンのスタッフと日本の一般的な販売員の比較。

第二に、下院議員のスタッフと衆議院議員のスタッフの比較。

 

まず、リッツ・カールトンのスタッフと日本の一般的なスタッフの比較をしてみよう。

リッツの従業員のサービスは世界最高、と言われることが多いのはご存知かと思う。

その秘訣とは何か。『リッツ・カールトンが大切にするサービスを超える瞬間』にその答えがあった。それは、「スタッフが持つ権限が相対的に大きい」ということがある。

どういうことか。

具体的には、リッツのスタッフは一日二十万円まで自分の裁量で使える権限がある。また、「○○係」という縛りがゆるい。ゆえに、宿泊客の記念日の演出を行えたり、新幹線にのって宿泊客の忘れ物を届けたり、ができる。

ほかにも、リッツのサービスを素晴らしいものにする方法として、「クレド」と呼ばれるリッツのポリシーがかかれたカードを常に携帯してリッツの精神を内面化していく、というのもあるが、今日はそれが主題ではないのでひとまずおいておく。

 

日本の一般的なスタッフはどうか。あなたは客で、店側が想定していないような要望を出したとしよう。対応したスタッフは、まず「責任者(店長、担当者)に確認します」と言うのではないだろうか。

なぜか。単に言われたことについて知識がないという場合もあるが、「自らの判断でものを言う権限がない」というのが一番の理由であろう。権限を与えられていないのである。判断する自由がないのである。

 上司に確認するのには時間がかかる。時間がかかれば顧客の満足は得にくいだろう。リッツは、従業員の権限ですぐに動くことができる。それが顧客の「大きな感動」を生み出す。

 

 

次に、アメリカの議員のスタッフと日本の議員のスタッフの比較を試みてみよう。

 

アメリカの議会は世界最高の立法府であることは、疑いようもない(近年は超多国籍企業の傀儡議員が多いという状況もあるようだが)。『国会という所』で、その立法府に属する議員が抱えているスタッフの数、賃金、扱われ方が少し紹介されている。

スタッフの数とその賃金はどうか。

上院議員一人に対してスタッフは平均して35人。下院議員一人に対してスタッフは平均して16人。上院議員一人当たりのスタッフの年間経費は92万ドル(本書は1986年刊行なので、レートが今と違う。著者は1ドル=200円として計算しており、1億8547万円)ほど。下院は年間30万ドル(約6000万円)。なお、人数が定められているわけでなく、「この経費内で何人まで雇ってよい」という決め方だそう。

日本は衆議院参議院とも一人につき2人。私設秘書を雇う議員もいるそうだが、公的にはこの人数。賃金は、第一位秘書が年棒623万円ほど。第二秘書が445万円ほど。

スタッフの年間経費は1068万円。

 つらつらと並べるだけでも格段の差がある。

 

もちろん、議員そのものの数も違うことは考慮に入れるべきではある。上院100人に対し、参議院252人。下院435人に対して衆議院511人。ただし、Wikipediaによると日本の議員数は参議院242人、衆議院475人と当時よりもコンパクトになっているようだ。

しかし、それでも「議会全体のスタッフ数」でみたら明らかにアメリカ議会の方が多い。

 

スタッフの扱われ方はどうか。

これには、「議員に求められているもの」が日米でかなり異なっているということが関係しているように思う。端的に言えば、アメリカでは立法が求められるが、日本では求められない。

だから必然的に、アメリカの議員秘書は、議員が立法するための専門家・スペシャリストである必要がある(ゆえに賃金もスペシャリストに払う額になる)。そして、議員機関の一員として人格が認められており、自由に議場へ出入りする。その結果として、議員は独自の活動ができる。

 

日本の秘書は本当の意味での「セクレタリー」なのだという。だから妻や子供を秘書にし、お手伝いさせるという方法がでてくる。そして、肝心の立法などに関しては政府官僚に頼らざるを得ないのだという。その結果として、官僚と議員の癒着が生まれる。憲法上の国会の役割「立法」は、議員が担っているとは言い難い状況になる。(日本が本当の意味での「三権分立」を目指すならば、つまり議員が立法するようになるには、スタッフのあり方を見直し、議員が立法しやすくなることが有効だと思われる。)

 

やや長くなったが、 比較を通して何が見えたか。

まずは、仕事に対する権限の範囲が違うということ。

アメリカは個人が持つ権限の範囲が比較的に広いのである。そして、それは「自由」が万人の権利になったという概念が文化に根ついているかどうかによる。ロックによれば、「自由」とは契約と所有における「自由」である。全ての人は「自由」権がある。つまり、アメリカのスタッフは自分の持ち分(=所有)に関して自由なのである。だから、比較的広範囲ではあるが明確に決められた範囲(=一日20万、立法の専門家)で思う存分パフォーマンスを発揮する。そして、そこに責任と尊厳が生まれる。日本のスタッフに「自由」はあるだろうか(そもそも、明確な範囲というものを持っているだろうか)。自由がなければ責任と尊厳もないわけだから、仕事のパフォーマンスは落ちるだろう。無責任体質の組織が不祥事を起こすが、これは「自由」の問題が関係しているように思う。

 

次に、上司と部下の関係の違い。

これは、「平等」という概念が根付いているかによる。スタッフというのは、職務上は誰かの部下であるが、決して奴隷ではない。会社と契約を結んでいる主体同士なのだ。契約における平等だ。どうも比較していると、日本のスタッフは奴隷に近いのではないかと思われる。奴隷だとしたら、考えることも許されなければ、責任もないというのは当然だろう。

 

どうやら、「自由」と「平等」という概念がスタッフのパフォーマンスや立場の違いを生み出しているらしい。少々荒削りな議論になってしまったが。

同時に、日本に民主主義が本当に根付くのにはまだ時間がかかるのだということも、なんとなくわかった。

 

リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間

リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間

 

 

国会という所 (岩波新書 黄版 337)

国会という所 (岩波新書 黄版 337)