美と日本人と郷愁と 『新編 日本の面影』(角川ソフィア文庫)
やっと夏が到来したので、ラフカディオ・ハーン著『新編 日本の面影』を手に取ってみた。
夏がくると情緒あふれる「日本」を感じたくなるのはなぜだろう。日本の夏は蒸し暑くて鬱陶しく思うときも多々あるが、それでも日本の夏はとりわけ「日本」を感じやすい季節であるように思われる。そんな夏に読むのにぴったりなのが本書だ。
著者であるラフカディオ・ハーンは、ギリシャで生まれて、アイルランド、アメリカを経て来日し、小泉八雲として日本に帰化した。「耳なし芳一」を世に送り出した文学者として名高い。
本書は、ハーンがアメリカから船で横浜に到着し、その後松江の尋常中学校および師範学校に赴任・離任した時代を描いたエッセイ集のようなものである。
ハーンは外部の人間らしく、日本人自身には見いだせない日本の美や西洋と異なる独自の行動様式を数多く発見する。
また、本書を読むと今の日本人とハーンの時代(1890年頃)の日本人とはだいぶ隔たりがあることがわかるだろう。1890年頃の日本は近代化・産業化・西欧化の途上にあり、近代化以前の日本の姿が出雲あたりにはまだ残っていたようである。
もっとも、当時のハーンは日本に心酔していたそうだから、本書においては美しい部分を過剰に強調しているきらいもあるが、単純に文学作品として素晴らしく、示唆に富んだ考察が多くある。
ハーンが見出した美は、子供、虫の音、生徒のふるまいなどである。
お地蔵様に手をあわせる子どもとそのお地蔵様が双子のようにそっくりだったという話。
虫の音の美しさをたたえ、「ツクツクボウシにかなう蝉は世界中のどこにもいないのではないか」という話。
師範学校の生徒のふるまいが「優雅な俊敏さ 」をもっていること。
独自の行動様式としては、以下のようなものがある。
日本の学校には懲罰が存在しない、とハーンは言う。無理やり勉強を押し付けたり、400行も500行も文字を書き写させる、といった懲罰を与えるのではなく、「ひとつの過ちをみんなのみせしめにする」という方法がとられる。
さらに、西洋では先生が生徒を放校にするのだが、日本においてはしばしば生徒が先生を放校にするのだという。これは生徒が自主独立を享有しているからだとハーンはいう。そして、放校にするときはたいがい生徒のほうに理があるそうだ。
「あの先生は好きだし、親切だけれど、僕たちが知りたいことを教えられないんです」と、生徒が教師を代えてほしいと訴えてきたという。調べてみると、その教師は大学を出て推薦を得て赴任してきたそうなのだが、生徒に授けるための化学の充分な知識を持っておらず、教師経験もなかったのだという。
経験がないというのは仕方ないとしても、知識を教えることは教師の仕事の一つであるから、これがままならないのであれば、たしかに生徒の主張はもっともであろう。
現代の日本人とハーンの時代の日本人の違いとしては、「微笑」があげられる。
ハーンによる日本人の微笑の考察を紹介する。
ハーンは例として、友人のイギリス人の体験談をひいている。友人が、馬を傷つけてしまった車夫を殴ってしまった。殴られた車夫は微笑んでいた。友人はその微笑みでハッとなると同時に奇妙だと思った。
ハーンはこの微笑がどんな意味を持っているのかを以下のように説明する。
日本人は、礼儀として微笑を浮かべるのだという。というのは、相手にとって一番いい顔は微笑の顔であるから、できるだけよくしてくれている人には微笑みかけるのがしきたりである。「たとえ心臓が破れそうになっていてさえ、凛とした笑顔を崩さないことが社会的義務なのである」。マイナスの感情を顔にだすのは不作法なのである。だから、ここでの車夫の微笑は「ほんとうに、私は悪いことをいたしましたからお怒りはもっともです。殴られるだけのことをしましたから、お怨みもうしあげません」という意味になるという。
現代の日本人もよく微笑む。それは当時からある日本人の傾向と言えるかもしれない。しかし、内面は現代の日本人と当時の日本人とでは若干異なるだろう。(もちろん、内面についてはハーンの考察によるものだから本当のところはどうかわからないけれど、だいたいの雰囲気はハーンの言うようなものだろう。)
現代の日本人ならこう思うのではないか(現代に車夫はいないけれど)。「私は殴られるほどのことをしたのだろうか。しかし主人の言う事であるから逆らうわけにもいかない。穏便に事を済ませたい。」その結果として微笑を浮かべるのである。ここでは、礼儀を守るというよりは、自分を守っているのではなかろうか。
とはいえ、微笑自体は現代でもマナーとして存在すると言えそうだ。日本の店員が西洋の店員と比べて態度が良いと言われるのは、微笑を浮かべているからだろう。それは店員のサービスというよりも習慣に根差しているように思われる。
本書はハーンが松江を去って熊本の学校へ転任するところで終わる。
その出立の際には、なんと生徒が200人も見送りにきたという。ハーンは本当に寂しそうに松江を去る。それは当時移動に時間も手間もかかったから、一度離れたら再び戻ることが難しかったからだろうか。松江での時代がそれほど幸福だったからだろうか。
夏はまことに郷愁を誘う季節である。

- 作者: ラフカディオ・ハーン,Lafcadio Hearn,池田雅之
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2000/09/18
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 35回
- この商品を含むブログ (21件) を見る
↓ 2が最近出版されたようだ。