読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

21世紀のサイノツノブログ

サイノツノによる提言

パンツを通してみる「性」模様 『スカートの下の劇場』(河出文庫)

最近、本ブログでは書評が続いているが、今日も飽きずに書評をしよう。

 

今日の本は、上野千鶴子著『スカートの下の劇場』 である。

 

本書は雑誌『is』に著者が寄稿したもの+編集者によって行われた著者への聞き取りをまとめたものである。聞き取り、という手段でまためられただけあって、トピックが細かく分けられており、講座を聞いているような感覚で手軽に読める本だ。

本書の内容を簡単に述べれば、「下着を通してみる性の自己意識の変容」とでも言えばよいだろうか。

 

上野の思想は一般的に「マルクス主義フェミニズム」と呼ばれている。本書も下着の話をしながら、それが労働や権力と結びついて上野ワールドが展開される。

 

日本人がパンツを履くようになったのはいつだろうか。

洋服が普及する前はパンツなど履いていなかったし、普及して一般化してからもパンツが定着するのは大分あとである。さらに、「下着におしゃれを」というムーブメントは昭和35年鴨居羊子の登場を待たねばならない。

 

また、今のようにパンツを毎日取り替えるようになるのは洗濯機が登場してからである。 

上野によれば、洗濯機の導入の時期と下着を毎日取り替えるようになる時期が一致するのだという。

洗濯機導入以前は、洗濯は重労働であったから、服を頻繁に取り替える習慣がなかった。ちなみに、労働面だけでみれば、洗濯一回における労働は軽減されたものの、頻度が増えたことによって洗濯機導入前と負担は変わらないという。

 

下着の管理は性器の管理なのであった。

洗濯は母親の仕事であったから、男の子の下着の洗濯も当然のごとく母親の管理下にあった。母親は、下着の汚れも必然的に目にすることになるから、息子の性になにが起こっているのかは一目瞭然なのである。

 

女の子は月経の始まりとともに、下着の洗濯は自己管理になるのだが(ただしどんな下着を履くか自体は男の子同様に母親に管理される傾向にある)、男の子は実家に留まる以上は下着の洗濯は母親の管理下なのであった。

 

男の子の下着そのものの選択はどうだろうか。

男の子は、実家をでるときに、それまでブリーフだったのをトランクスに切り替えるようになるのだという。これは、母親の性器支配からの解放という意味と、トランクスだと洗濯の回数が減らせるからという事情があるのだという(ただし、本書は初版が1992年であるから今はまた事情が異なっているだろう)。例外的に、一人暮らしをはじめてからも宅急便で洗濯物を母親に送って洗濯してもらう、ということもあったらしい。

 

結婚すると、今度は男性の下着の管理は妻の下に置かれる。ここで妻と母親のバトルが起こったという例が紹介されている。夫は母親が買ってきた下着を履くのに抵抗をを感じないが、妻は不快感を示す。これはまさに下着の管理=性の管理を象徴しているように思われる。つまり、妻と母親どちらが彼の性の管理権を持つのかということである。彼女たちにとってはこれは重大事なのだ。

そして、じつは男性は下着の管理権を持っていないのである。

 

本書ではセックスのとらえ方についても言及している。

男性は身体を客体化するが、女性の性の対象は自己の身体である。

たとえばAVにおいて、従来と視線を入れ替えて男性の顔をアップにしてみても女性は興奮しないという。これが男女の「性の非対称性」である。女はどのような状況なら興奮するのかというと、鏡張りの部屋に閉じこめられた女がいて、鏡の面のところが男の視線とする。そして目を開けたときに鏡に映るのは自分の姿。

このように、対象そのものにではなく対象化された自己像に興奮するのだという。

 

このことはナルシシズムと呼んで良い、と上野は言う。

これが女性がパンティにこだわる理由である。つまり、女性はパンツを「そのパンツにふさわしいボディ・イメージ」に履かせているのであるという。

中年の女性(ただし1992年頃あたりの中年)がフリルやレースや花柄のパンツを集めるのは一見不思議に思われるが、これは「無垢なボディ」に履かせているからなのである。この時パンティは「男の視線からの撤退と自己防衛の表現」なのであるという。脱がされるためのものではなく、自らのナルシスティックな満足のためのものなのである。

 

以上のように本書には刺激的な論考が数多く連なっている。

フェミニズムジェンダーという学問は数ある学問領域と比較すると、学説を受け取る個人の感情のバラつきが大きい傾向があるように思われる。というのは、「性」にまつわることが生物としての人間と社会的な存在である人間の「境界」に属しているからであろう。そして、その反発の大きさから、逆に「性」が人間にとっていかに重要な関心事であるかがわかる。

 

本書はあくまでも一つの解釈だが、上野千鶴子の鋭い考察から新たな示唆を得ることができる。

 

 

スカートの下の劇場 (河出文庫)

スカートの下の劇場 (河出文庫)