21世紀のサイノツノブログ

サイノツノによる提言

脳のふしぎいろいろ 『脳からみた心』(角川ソフィア文庫)

角川ソフィア文庫からでている、山鳥明著『からみた心』を読んだ。

 

本書は、脳に障害が生じた人の例から人間の脳みそのふしぎを探っていく本である。

著者はその症例を「言葉の世界」、「知覚の世界」、「記憶の世界」という三種類に分けて紹介している。

 

ここでは、「言葉の世界」からみていくことにしよう。

 

紹介されている症例は、単語がでてこない、単語の意味がわからない、文の意味がわからない、相手の言葉をくりかえしてしまう、喋る言葉がくずれるなどである。これらの症状は脳の損傷部位によって違うあらわれ方になるという。

 

たとえば、歯ブラシをみて「くつ!」と言う人。ベッドを見てベッドと言えるのに、自分のベッドと他のベッドが同じ「ベッド」であると認識できない人。「櫛をとってみて下さい」と言われたらとることができるのに、「鉛筆で櫛に触れてください」と言われると理解できない人。

 

著者によれば、このような症状を示す人でも、日常性、習慣性の高い言葉は理解能力が残っているとみている。日常的な言葉とは、人と会ったら「こんにちは」と言える、というようなことだ。(著者の臨床での会話は、「鉛筆で櫛に触れてください」というようなものだから、日常的な言葉とは少し性質が違うものである。)

自動的に言葉がでるようになるには、繰り返し「状況」と結びついた発話がなされる必要があるという。「こんにちは」と言えるのは、私たちが同じ状況で繰り返し発話しているから言えるのである。

 

著者はソシュールをひいて言葉の世界についてまとめている。言葉の世界の最小単位は「語」であるが、「語」は音韻系列(名前)と概念(名づけられるもの)の複合体である。前述したような症例は、その二つの結びつきがほどけてしまったことによるものである。

 

また、語の成立には大脳の「範疇化機能」が必要であると著者はいう。ソシュールの発想でいけば、個々の物理現象の数だけ概念が存在することになるわけで(たとえば、わたしが「犬」と言うときに喚起されるのは家で飼っているポチのイメージだが、あなたは「犬」というとき小さい頃に追いかけられた野良犬のイメージを喚起するかもしれない)それでは言葉の社会的な機能が生まれない。

大脳は、複数のイメージの中から共通の属性をとりだして、一般的に適応可能なイメージを作ることができる。これが「範疇化機能」である。この機能は動的なものであるから、これもまた容易に崩壊しうるのだと著者はいう。

 

語はさらに文脈に組み込まれている。文脈は、語にはない新しい意味をうみだす。たとえば、さきほどの犬の例を引き続き利用すれば、うちの犬はかわいいという文をつくるとする。そこでの「犬」はあの動物のイヌの意味である。ところが、「あいつは警察の犬だ」と言った場合はどうだろう。ここでの「犬」は、スパイの意味になるのである。

このように、語は文脈に組み込まれると新しい構造をつくり、新しい意味をつくりだすのである。

したがって、意味の発生という観点からみれば、音から語、語から文、文から文章というように、単なる要素の加算ではなく、新しい次元が展開していったと考えられる、と著者は言う。

言葉というのは、高次の神経活動に裏打ちされた有機体なのである。

 

 

本書には、養老孟司氏の解説がついており、それがなかなかおもしろかった。

養老氏は、著者のこころみは、ハイテク機器を使用して大人数でのぞむ「ビッグ・サイエンス」に対して、「スモール・サイエンス」であると言う。

本書がかれたのはfMRIなどない1985年である。著者のように、機器を使わずに具体的な症例を検討するような姿勢が、科学の王道ではないだろうか、と養老氏は言う。ラマチャンドランが言うように、「科学は研究の方法によってではなく、疑問で動かされるべきである」という。

この言葉は、現代の画像診断が進歩した科学の世界において重要な言葉であろう。

 

本書の内容は一部しか紹介できなかったが、脳のふしぎがたくさんつまったおもしろい本であった。

 

 

脳からみた心 (角川ソフィア文庫)

脳からみた心 (角川ソフィア文庫)